アジェンダ・プロジェクト・京都

アジェンダ・プロジェクト・京都のブログです。 日々の活動、今後の活動予定、作成したビラなどをアップしていきます。

関東大震災の朝鮮人虐殺についての学習会をアジェンダプロジェクト京都で開催

8月11日のアジェンダプロジェクト「京都」の学習会は関東大震災の朝鮮人虐殺についてでした。
近年様々な著書が出され、またその事実を否定又は黙殺しようとする動きも絶えません。
学習会では震災で行われた虐殺の事実をあたらためて学びました。

「地震と虐殺 1923-2024」安田浩一著
TRICK-トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち


報告者は上記の二冊を主な参考文献としています。
前者は虐殺が起きた場所の資料や声を集めた労作です。
1923年9月1日の大震災の被害の大きなものは火災でした。
東京市の44%、横浜市の80%が焼け、10万人以上の死者が出ました。
デマが各地に広がり、2日以降各地で朝鮮人への迫害が始まります。
このデマは国家と行政機関によって拡大されました。
内務所は各地方長官に電文を送っており、その内容は朝鮮人への憎悪をあおるものでした。
3日には戒厳司令部がデモの拡大を抑止する訓示、内務省は新聞社に朝鮮人関連の記事を書かないよう警告しています。こうした国家機関の動きでも虐殺は止まりませんでした。
虐殺が収束していく過程で国家機関による加害者の拘束や殺された朝鮮人の「処理」に国が強く関与していました。
遺体の即時火葬、日本人との違いが分からないように遺骨を処置するよう指示していたのです。
これは後年の虐殺調査を困難にする大きな要因となります。
朝鮮植民地支配による朝鮮への蔑視、恨まれている意識、恐怖なども虐殺をもたらした要因です。
虐殺否定論についても知見を得ることが出来ました。

政府は2009年に虐殺について検証を行い、「虐殺」という言葉を用いて事実を認定、反省すべきだとまとめています。これは当時の麻生首相も認定したれっきとした政府見解です。
否定論者は当時の新聞を持ち出して、「政府は朝鮮人暴動はデマではなく事実」として虐殺の事実より当時の朝鮮人の暴動にウエイトを置いて論を進めています。
当時の新聞は富士山噴火や横浜で死者10万人など荒唐無稽な虚偽の記事であふれています。
一次資料にあたり、証言なども丁寧に拾っている学術的な議論が、当時の誤報と同レベルに扱われることに怒りを禁じえません。
否定論は「有力な説」として影響力を持ちつつあり、「議論が分かれている」という雰囲気が醸成されています。これこそ否定論者の勝利です。
事実、小池東京知事は2017年から朝鮮人虐殺の追悼集会で歴代の知事が送ってきたメッセージをとりやめました。
悲惨な出来事を繰り返さないためにも、誠実に歴史に向き合い繰り返し学ばなければなりません。101年前の朝鮮人虐殺は決して忘れてはならない事実です。

アジェンダプロジェクト京都 定例学習会

7月14日の午前に行われたアジェンダプロジェクト京都の学習会のテーマは
雑誌「アジェンダ」85号。テーマはジェンダー平等はいま、です。
報告者は紙面から大沢真知子さん、熱田敬子さんの論考を取り上げました。
大沢さんは、「何が女性の活躍を妨げているのか」の中で、男女の賃金格差から論を始めます。
賃金格差は2015年の時点で女性が男性の59%という値です。これは先進諸国の中でもかなり低い数字です。これまで日本の女性の多くが結婚と育児でいったん離職し、復帰する際にはかなりの低賃金の職に就くことが格差の要因とされてきました。
そのほかの要因として仕事の割り振りに男女差が残る中で、長時間労働を必要とする仕事に男性がつくことが多くなります。そうしたことが昇進に大きな差を生んでいます。
また103万、106万、130万の壁と言われる社会保険の加入を巡る制度も女性の低賃金が続く要因となっています。
男女の経済格差を解消するためには、いまだに残る男性が稼ぎ頭となって家族を養うモデルを転換させる必要があります。

熱田敬子さんの論考は性暴力に関するものです。
熱田さんは、性暴力に対抗する運動の変遷を述べたうえで、2017年に行われた刑法改正について言及します。
性暴力に対抗する制度として行われた刑法改正は、強姦罪を「強制性交等罪」「不同意性交等罪」へと変え、被害者の告訴がなくても起訴が可能となり、親などによる子どもへの性的虐待も処罰対象に、被害者の性別を女性に限定しないなどの内容となっています。
性被害の多くは女性であることは変わりありませんが、それに当てはまらない被害を可視化していく必要があると熱田さんは述べます。
あらゆる差別問題への取り組みの前提として、自らの加害性も問い続けることが重要なのだと思います。





学習会 石原俊著 「硫黄島ー国策に翻弄された130年」を読む

5月19日、アジェンダプロジェクト京都の定例学習会が下京いきいき市民活動センターにおいて行われました。テーマは硫黄島です。
硫黄島は太平洋戦争の激戦地として名高く、その戦いを巡って様々な書籍や映画が作成されています。
この島に最大1200人の人々が生活を営んでいて、戦時に強制移住あったことはあまり知られていません。
元住人たちは戦後期間を求めてきましたが、それは現在まで実現していません。
学習会では、硫黄島への入植から戦争、その後の島民のうんどうについて報告がありました。
19世紀に入植がはじまり、製糖業やコカインの工場など農産業を中心とした産業が興り、徐々に人が増えてきました。太平洋戦争の戦況が悪化する1944年に本格的に軍事要塞化が進みました。米軍にとって日本本土爆撃の中継地として硫黄島の獲得が必要でした。島の1254名中1094人が強制疎開の対象になるなど、戦争によって故郷を追われることになりました。
硫黄島の戦闘での日本側の死者、行方不明者は2万人を超え、致死率は95%と非常に高いものでした。
戦後も68年まで米軍の占領下に置かれ、すべての民間人の移住が禁じられました。
島民たちはGHQに対して帰還運動をつづけました。
68年に南方諸島の施政権が日本に返還されましたが、硫黄島は海上自衛隊の基地がおかれ滑走路などの軍事施設は必要に応じて米軍の訓練に提供され続けました。
その後も年増に入れるのは、遺骨収集のみで帰島を求める人々の声が反映されることはありませんでした。
「対中国」を名目に西南諸島での軍事化が進む中で、住民たちが生活を営むことが難しい状況になりつつありますが、硫黄島の例はその端的な例となります。
軍事的な動きが人々の生活を脅かすことを繰り返させてはなりません。
硫黄島の歴史は大きな教訓を与えてくれるものです。


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